2009年03月05日
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玉川上水新水路跡を歩くPart-2・よく見れば終点は「議事堂南」交差点ではない

Written By: 川俣 晶連絡先

 明日はまた雨の予報なので、今日は贅沢にも電車で散歩先に出向くということを行いました。場所は、玉川上水新水路跡の幡ヶ谷三丁目交差点から新宿の終点までです。そこをてくてくと歩きました。

歩こう歩こう §

 道路そのものは、さほどアップダウンはないのですが、道路の周囲にはアップダウンが多く、目で見て楽しい経路だと思いました。

 途中で、玉川上水新水路跡に関する説明板も発見。

 オペラシティの裏を経て山手通りと交差。

 更に歩くと、すぐ新宿です。

 そして、見覚えのある場所に到着。過去に何回か話題にしたことがある角筈区民センター前交差点です。

 「そうか、ここに出るのか」というのが実際に来た実感です。

 角筈区民センターそのものは改装工事中だったようです。

 そして、ついに道路が尽きるところまで来ました。

 議事堂南交差点です。

 これにて散歩完了!

あれれ? これで終わりでいいの? §

 しかし、議事堂南交差点から東の方に、狭い道が延びています。

 議事堂南交差点の場所は以下の通りです。

 その道を見ると、どうも不自然です。写真を見ると分かる通り、中央に不自然な区切りがあり、いかにも「道路+水路」という過去があっても不思議ではないムードです。

気になる道路

 というわけで、goo地図で古い航空写真を切り替えながら見てみましたが、結論としては以下の通りです。

  • 玉川上水新水路が現在の議事堂南交差点で終わっていたという解釈はおそらく誤りである
  • 玉川上水新水路は交差点の位置より更に若干東にまっすぐ延びていて、KDDIビルアネックスの中央付近までは水路があったようだ
  • この水路と上記の道路は位置が一致していないので、この道路(の一部)が玉川上水新水路跡である、という可能性はおそらく無い。ちなみに上記の道路は昔から道路として存在するもので、その意味でも少なくとも道路の半分は水路跡ではないと考えられる

 問題は道路の残り半分ですが、現時点で言えることは以下のことだけです。

  • 玉川上水新水路は1937年に廃止されているが、淀橋浄水場付近の部分(おそらく、神田上水助水路以東)は淀橋浄水場が廃止される1965年まで現役であったと考えられる (航空写真に写っている)
  • その後、この部分が別の用途の水路として存続し、暗渠化や流路の変更が行われた可能性はあり得るだろう。上記道路の写真左半分は、そのようにして「暗渠化+流路の変更」が行われた水路の末裔である、という可能性は考えられる
  • しかし、下水道台帳では この部分は非表示エリアなので、ネットでは確認できない

エピローグ §

 「あのあたりが京王線新町駅の跡地だな」と甲州街道の向かい側をつつ、そのまま新線新宿駅から京王線に乗って帰ってきました。

 これにて、玉川上水新水路跡の全線踏破は(歩けない部分は除き)完了です。

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